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07.30
Mon
1.

怜の意識から離脱した次の日の朝、詩子は怜の元交際相手、古澄希生(こずみ きお)のアパートを訪れていた。






現実の診療所へ戻った詩子は、まず怜の元交際相手の調査資料を再確認した。
一応一通りの内容を頭に叩き込み、煙草に火を点ける。おっと残り僅かだ、抽斗の中からカートンを一つ取り出す。ストックは潤沢だな。


煙をくゆらせながら、考える。



まず、怜は終末病の神様などではない。

少なくとも、彼を『神様』の力で以って向こう側に渡らせた、というのは否定できる。
この資料が今もこうして現存しているからだ。



前回の終末病被害者の一人、名を荒坂といった。彼の消えた持ち物とその後の顛末を思い出す。

彼は向こう側へ渡った時に持ち物を落としていた。消えた例の財布だ。

私はそれを元に聞き取り調査を行った。だが、その際に作成した資料は財布とともに消失したのだ。
帰ってすぐに作成した簡単な書類だったが、仮眠を取っている間に無くなっていて愕然としたものだ。
当然調査もそれなりに難儀した。覚えている情報を反芻しつつ書き出し、消えては作成してすり減っていく情報の中なんとか調査を終えたのだった。



今となっては私の記憶にだけおぼろげに残っている。


あの時はまさか事後に作成したものすらも無かった事にされるとは考えていなかったが、その事実が今は『怜=神様説』を否定する材料となっている。行動は起こしておくものだ。


それと、怜の告白の内容だ。


怜が神様でないなら、あの告白の内容は非常に危険だ。怜は明らかに神様に近い位置で終末病に関係している事になる。自分が神様であると思い込むほどに。


依然眠り続けている彼女、昨日の診療所での出来事を振り返る。

意識の中の事とはいえ、あの告白は真に迫っていた。彼女の中ではあれが現実であり、事実そのものであるかのように、彼女の心は訴えていた。

告白の内容は彼女が神様であるという事を明白にしていた。終末病の原理の一致。ハッキリとした事が思い出せないのは、自殺未遂の上意識不明という現実の姿を顧みれば仕方のないことかもしれない。半分以上が灰となった煙草を灰皿に押し付け、ため息を一つ。


彼女の近くに居た人間が、神様である可能性が高い。彼女の言を信じれば、現時点で一番疑わしいのはこの資料の彼ということになる。彼女の交友関係は驚くほど希薄だ。


だが、彼が神様、とはどうにも思えない。


「神様はどこの誰なんだ…か」

追えていると思っていた相手が消え、意外な所から真実が現れてしまった。自体は何も終わっておらず、情報はまだまだ足りていない。



また、彼を殺したという怜のあの言葉。


そもそも、『彼』とは誰か。

離別していたはずの元交際相手の事かと聞くわけにはいかなかった。あの段階では私と彼女はまだ初対面なのだ。

怜の殺人が事実で、手段が終末病でないとするなら。


…確証はないが、考えられるのは怜のあの力だ。

彼女は殺したと言ったが、死体は無かった。救急車が到着するまでの間、私は室内の様子を確認していた。

多少部屋は荒れていたが、どこにも人間が死んだ痕跡など無かった。

あの時感じた力の発動。あの怖気。恐らく、怜は、何らかの力を使い『彼』を殺したのだろう。殺害の痕跡を消し去ってしまうほどの人外の力。終末病に匹敵するほどの、別の力を彼女は持っている。


まずは、『彼』が元交際相手なのか、それを確認する必要がある。怜の言が正しければ彼はすでにこの世にいない。

まず、明日朝一で彼のアパートへ向かおう。

古澄が神様であるなら、終末病はすでに解決している事になる。

古澄が生きていた場合は白だ。その時は少し話でもしよう。




終末病以外に、全く別の大きい力。偶然なのか、必然なのか。異能者は惹かれ合うとでも言うのか。








古澄宅は郊外の、怜の家周辺のいわゆる住宅密集地から離れて数kmの若干寂れた場所にあった。

車ではさほど不便さを感じないが、公共の交通機関を利用する人間には住みづらい、そんな立地であり、近くには森が広がっている。


冬の早朝、辺りはまだ暗い。古澄の部屋の明かりは、点いていた。どうやら生きていたらしい。

アパートの前に停まり、車のエンジンを切って様子を伺う。



しばらくして、古澄は部屋から出てきた。

近寄って声をかける。

「古澄、希生君」

振り返る古澄。控え目にだがあからさまに警戒していた。逆に普通の反応とも言える。

「…どちら様ですか?」

どこか幼さの残る顔立ち、中肉中背の古澄は半歩下がりながらこちらをコソコソと伺っている。

「突然で申し訳ない。私は詩井怜の主治医でカウンセラーの、聖部詩子という」

「怜の…」

古澄はどこか申し訳なさそうな面持ちで、こちらを伺っている。調査資料の写真よりかなりやつれてみえた。

「古澄君、時間はあるか?」

「構いませんよ。どうせ暇ですから」

虚ろな目に、少しだけ光が宿ったように見えた。









「怜は、まだ体調悪いんですね」

切り出した古澄は、静かにそう呟いた。


アパートから少し歩いた先に、大きな公園があった。

広い敷地と、点在するベンチ。

葉のほとんどが落ちた裸同然の樹木が並ぶ、どこか寂しさを感じさせる冬の光景。


「怜は今、病院にいる」

「病院って…入院してるんですか?」

「意識不明だよ。手首を切った」

驚くことも、俯くこともなくただ、遠くを見つめる古澄。

「前にも、同じようなことがありました」

…そういうことか。

「彼女は、大分前から精神を病んでいる。何か知っていることがあれば、教えて欲しい」

数分の間。

煙草を差し出すと、無言で頷く彼。火を点けてやる。

「ごちそうさまです。冬に吸うと美味しいって本当だったんですね」

この美味さを知らなったとは可哀想に。

古澄は淡々と語りだす。


「怜は、昔、暴行を受けそうになったらしいんです」

「暴行…」

「高校の頃の話だと聞きました。その時に彼女は、その相手を殺してしまったと、言っていました」







「殺した…?」

古澄は続ける。

「怜の話では、襲われそうになって、怖くてどうすることも出来ずに泣いていたそうです。組み伏せられて、もう駄目だと思った時、目の前が真っ暗になって」

「気づいたら、相手はどこにもいなくなっていたそうです。ただ」

「怜は言ってました。相手を殺した実感だけが強く残っている、と。自分が殺したのは間違いないと」

薄暗かった辺りは段々と朝の色に変わりつつある。

「君は、どう思う」

「当時、そのような事件の報道は一切ありませんでした。世間的に事件は起きていないんです。それに、彼女は…人を殺したりなんかしませんよ」

言葉とは裏腹に力なく答える古澄。

「一つ聞きたい。君は何時頃まで彼女と共に生活していた」

「そこまで知っている貴方なら、お分かりでしょう。もう半年以上前の事になりますね」

そこまで言って、古澄はもうすっかり灰になった煙草を公園の灰皿に捨てる。


ふと予感がよぎる。

「古澄君、君は終末病の噂を知っているか」

「知ってますよ、今流行ってますからね。それが何か?」

「いや。ありがとう、突然押しかけてすまなかった」

立ち上がって、辺りを見回す。陽が登っても寂しい印象は変わらなかった。

古澄は座ったまま、こちらを向いて頭を下げる。

「聖部先生、でしたっけ。怜をよろしくお願いします」

「君は随分なお人好しのようだな。私達は初対面だぞ」

立ち上がり、古澄は姿勢を正してこう言った。

「ただの主治医が、いくら患者が自殺を図ったからといって元恋人の家まで来たりはしませんよ。先生のほうが、よほどお人好しだ」

「…違いない」









古澄の話を聞いた後、私はその足で怜の元へと向かった。

再度アクセスした怜の意識の中、診療所の前でウロウロしている彼女を見つけた。

「怜」

怜は振り返ると笑顔で会釈してくる。

「こんにちは、先生。どこ行ってたんですか、もう」

昨夜の告白の割に随分と明るいな…言い聞かせた私も意外に思うほど、彼女は2度目とは思えないほど親しげに接してくる。無理しているようなところは感じられない。
薬は一般の安定剤だ。それほどの影響があるとは思えないが。

「昨夜の事でもっと落ち込んでいるかと思ったが、元気そうでなによりだ」

キョトンとした顔でこちらを見る怜。

「昨夜何か、ありましたっけ…?」

…。


診療所内に通し、他愛ない話をしながら考えをまとめる。

怜は、告白の事を覚えていない。その上、彼女にとっては私達はそれなりに親しい、友人と言っていいほどに親しい間柄になっている。

彼女の意識内の事であるから、多少の改ざんはあると思っていたが、まさかこういう風に働くとはな…。

恐らく、秘密を打ち明けたい、という望みを彼女は叶えた。

それにより、打ち明けた相手である私を、信頼のおける相手として辻褄を合わせたのだろう。告白自体を忘れているのは、本来そのほうが自然だからだ。

彼女は彼を殺した後自殺するのだから、あの内容は彼女にとって都合の悪い現実だ。

忘却していなければ、この世界は成り立たない。あれは私が強引に引き出した真実だった。

深い眠りの意識の中に構築されたこの世界は、彼女の都合のいいように回っているかに見えた。


それと、彼女はもう一つ、重大なことを忘れている。

彼の存在だ。

彼を意識する前の時間軸へ、怜の意識は飛んでいる。

その日は他愛無いおしゃべりをするだけして、切り上げた。


先日の二の舞にならぬよう、点滴が十分残っているうちに離脱した。



私は今朝の古澄の様子を思い出していた。

虚ろな目で包み隠さず語ったその奥に、何かを隠しているような気がしていた。




2.




終末病の噂は誰が流しているのか、調べていくうちにあっけなくその場所は知ることが出来た。

自殺するのに躊躇う理由のありとあらゆる物を、終末病は解決してくれる。

自分自身が無かった事になるのだから、何もかもそのままでふらっと向こう側に渡るだけで成立する。覚悟も何もいらない。ただ祈るだけだ。



この雑居ビルの屋上が、終末病の集合場所だ。

時間はきっかり2時。少し遅れてしまったせいか、僕以外誰も居ない。

…?柵の向こう側に、人影が-



-グシャッ



今のは…まさか。

柵までゆっくりと歩いて行く。そして、下をのぞき込んだ。



道路に面した反対側。裏の雑草生い茂る敷地内は真っ黒に染まっていた。

これが…終末病?


こんな、ただの投身自殺が、終末病なのか。


神様なんて、どこにもいないじゃないか。彼らはただ、飛び降りただけだ。


裏切られたような気分で、柵の向こうを眺める。


別にこれでも、構わない。




柵の向こうに、足をかける。

あれは夢みたいなものだったんだ。

そんな死に方、出来るはずないんだから。

僕に出来るのは精々、この位だろう。



遺書も何も、残さない、突発的に見える自殺。

彼らも僕も、絶望しつつもきっと期待していたのだ。

最後の夢からも目が覚めて、みんな諦めることができたのだろう。


怜の助け、力になれなかった。側に居てやることも僕は諦めた。

もう何も、したくない。



「古澄、希生!」


「!」

振り返ると、いつかの先生が立っていた。


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07.22
Sun
1.



 おかしな診療所だ。怜は心の中で何度も思う。

先生自らドアを開けて迎えてくれるとは思わなかったので、挨拶がてら思わず笑顔で気安い事を口走ってしまったが、いざ案内されてみると胡散臭さが増す。

この診療所、ちょっと煙草臭い。どうやら換気はしたようで仄かに残り香が感じられる程度だが、カウンセリングしようという人間が診療所内で喫煙するものだろうか。

その上ゴチャゴチャしていてどこに何があるのかひと目では分からない。

思わずすんすんと匂いを嗅いでいた私を見て、

「煙草臭いかな?悪いね、どうにも我慢できなくてな。つい」

あはは、と乾いた笑いを漏らした聖部詩子。意外と不精な人のようだ。非常識ではあるが、他に客はいないし、この診療所にはそもそも待合室がなかった。仮に完全予約制だとしても待合室くらいあるのでは…と訝るが、まぁそれはここの事情だ。
何より他に人が居なくてよかった。それより突然押しかけたせいで慌てさせてしまったかもしれない。

「すいません、突然押しかけてしまって」ひとまず謝っておく。

「いや、歓迎するよ。見ての通り変な診療所だがまぁ、適当に腰掛けてくれ」

特に気にする素振りもなくデスクの椅子に腰掛ける。

「そこのソファがオススメだ」

デスクの前に設えられたソファを指す先生。高そうなソファだがオススメされたので座ってみる。すっごく柔らかい。思わず寝入ってしまいそうだ。

「すごいフワフワです。寝ちゃいそう」

「気に入ったようで何より。なんなら別に寝ても構わないよ」と笑いながら先生は雑誌を読み始める。


…なんというか、私は此処に何をしに来たのか忘れそうになる。

ここは居心地がいい。印象が目まぐるしく変わり行き着いた先は、そういう感覚だった。


最初私は、助けを求めて此処に来た。その助けとはカウンセリングではなかったんだろうか。出会ったばかりのはずの先生と私の距離は、何故こんなにもあっけなく縮まっているのか。何故こんなにも穏やかにしていられるのだろうか。
私が求めたのは新しいきっかけと、私に合った薬だった。…いや、違う。

私は。


物思いに耽る私を、先生が見つめる。

「…君は今、何がしたい?」

何がしたい?私は…私はまどろむ頭を巡らせて、改めて決意を固めた。

「私は…」

今この場は、懺悔の空間だ。

心地いいソファに身を委ねて、まどろんでいた私。

この気持ちよさをかなぐり捨てて、何もかもを吐き出してしまいたかった。





「私は、人を殺しました」




「きっと信じてもらえないだろうけど、私は人を殺したんです」




「好きだったのに、殺してしまったの」



言ってしまった。

私は、この浮世離れした女性に何を期待しているのだろう。
信じてくれるだろうか。これは異常者の戯言だ。だけど、期待することをやめられない。

詩井怜はどうしようもない孤独の中、そう告白した。








2.


「どう殺した」

詩子は怜の告白を一語一句確認するように心の中で繰り返すと、冷静に切り出した。

「え…?」

怜は先ほどまでのまどろんでいた瞳をしっかりと開け、しかしこちらの返事が意外だったのか、落ち着いた表情で静かに話し始めた。

「…終末病って知ってますか、先生」

「ああ…絶望すると神様が向こう側に渡らせてくれるという、今流行の噂だな」

まさか怜の口から終末病の話題が出てくるとは思わなかった。

「そうですね…そう、その神様が、私なんです」





「それで人殺しか」

終末病の犯人だから、『きっと信じてもらえない』か。

向こう側に渡った人間は人の記憶からも消える。その歴史も消える。事件自体が無かった事になる。

しかしそれなら、怜は何故大好きだったという彼の事を覚えているのか。
神様は忘れないとでもいうのか。仮にそうだとすればとんだ代償だな、と思う。


怜は何気ない世間話をする様に話している。抑揚もあるし時に笑顔も見せる。

だが目は笑っていない。これは彼女なりの懺悔なのだろう。


「先程君は、好きな人を殺したと言った。渡らせたのか。向こう側に」


調べでは怜の恋人、同棲相手は既に離別していた。それはここ最近の話ではない。少なくとも半年以上前の話だ。時間は足りなかったが確かにそのはずだった。


「…彼が仕事を辞めて、2ヶ月が経った頃です。仕事が見つからなくて、もともと貯蓄もなく身寄りもない彼の精神は破綻しつつありました」

「…」頷いて先を促す。

「私は彼に、酷い暴力を振るわれていました…ある時彼は、私を…」

言葉に詰まったようだ。無理もない。

「…殺されると思った私は、彼を、彼より早く殺してしまったんです」





詩井怜の告白はそこで終わった。彼女は今はもう力を失った瞳で、こちらを見つめている。

一呼吸おいて、口を開く。

「…信じるよ」

「先生なら、そう言ってくれると思いました。なんか、浮世離れしてるから」

殺人の告白をしたというのに、安堵の表情を浮かべる怜。

異常者扱いされる事を恐れていたのかもしれない。

「ただし、な」

疑問は残る。限りなく黒に近いがグレー。二、三尋ねる。

「君は渡った人間の事を覚えているのか?彼以外でだ」

「いえ。渡ってしまえば、その人がこの世界にいた事実自体が無かった事になります。私も当然、覚えていられません。ただ、人を消したという認識だけは残っている」

終末病の原理は合っている。しかし、神様も忘れてしまうのか。

「いずれ、彼がいた事も忘れてしまうと思います。だから-」

誰かに、知っておいて欲しかったか。仕方ない。



「私はな、個人的に終末病を追っていた」


「え…」

目を丸くする怜。

「私の見解では、君はまだグレーだ。先ほどの言葉は信じるが、君を終末病の神様と信じるのとはまた別の話だな」

「だって!現に消えてるんですよ!人が沢山!私が殺したのに!」

立ち上がって叫ぶように訴える怜。

「君が神様だとして、前回起こしたのはいつだ。勿論覚えているはずだ」

「最後に行ったのは、ええと…」

「止めた理由は覚えているか」

狼狽える怜。手首を切って意識不明に陥った彼女は恐らく覚えていない。

自殺しようとしたその日が本来であれば決行日だった。
今までの話から、首謀者が手首を切っていたから未遂に終わったと考えるのが妥当ではある。

だが、彼女の感覚なのかどうかまだはっきりとは判断出来ないが、表現がオカシイ。

渡らせた人間を殺したと呼ぶのは、どうにも違和感がある。

消し去ったのほうが、合っている。覚えているわけでもないのなら、尚の事だ。


「ひとまず、落ち着け。私は君の殺人の告白は信じよう。

ただ君が神様だというのは保留にさせてほしい。神様探しは、私の仕事だ」

「…」怜は俯いて、ただ黙っている。

「君の真実は、私が明らかにする」

彼女にはきっと空虚に響いたに違いない。が、今はソレぐらいしか言ってやれない。

空気を入れ替えよう。立ち上がって後ろの窓を開ける。もうすっかり暗くなっていた。

「それまではここに通うこと。普段どおりでな。ひとまず、告白の件は私と君の秘密だ。それと、今日は薬を出しておくから。帰ったら飲むように」

「先生…」

どうしたらいいのか分からないといった顔で、怜はこちらを見つめる。


「大丈夫、まかせておけ。今日会ったばかりの私によくここまで話してくれた。ありがとう」

「不思議ですね、私、告白したら、死のうと思ってたんですよ」

物騒な事を言う。深層意識の中で、死ぬことは出来るのだろうか。

「でも、すごく非常識なんですけど、肩の荷がおりた気分です」

「ああ。抱え込むには大きすぎる荷だよ」


「ありがとう、詩子先生」

疲れた笑顔で礼を言う怜。詩子先生はやめろと言いそびれた。





もし、神様が別にいるとするなら、現実世界では渡りが行われる可能性はまだある。

だとすれば、あと5日後にまた、無いはずの事件は起こる。

怜が行った殺人、離別したはずの彼と、同棲が続いていたという事実。

現実世界で、ひとまずその彼を追ってみることにしよう。



陽はとっくに沈み面会時間はとっくに過ぎていた。

結界を張って病室の認識をずらしておいて正解だった。
幸い点滴はギリギリ残っている。ナースコールを鳴らし、その場を後にする。

気味悪がられるだろうがまぁ、しょうがない。後は任せる。

看護師達が慌ただしく怜の病室へ行くのを確認した詩子は、病院を抜け出した。
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07.21
Sat
1.

 ゆっくりと瞼を開けると、淡い光が寝起きの網膜を柔らかく刺激してくる。朝だ。
…見慣れた天井だ。昨夜は何をしていたんだっけ。何時に寝たのかもイマイチ思い出せない。

 今日はやけに身体が重い。ぼーっとする頭で考える。これは先日から服用している向精神薬が原因だろう。確か薬を貰った時に眠気を誘発するといった説明を受けたような気がする。それにしてもひどい眠気だ。これは起き上がれない。

布団の中でゴロゴロしながら、昨日の事を思い出す。昨日会った、聖部詩子という人。

 昼に買い物に出た時の事だ。
私は食材や日用品なんかの買い物を一通り済ませた後、疲れてスーパーのベンチに腰掛けた。
休暇を貰ってからというもの、体力がみるみるうちに減ってきていてちょっとした買い物でもこの具合だ。体調を崩したのは仕事のストレスが原因だったが、仕事のおかげで保っていた部分が金銭や立場意外にも有ったことを実感してうんざりしていた。



 数分か数十分か、日陰のベンチに腰掛けたままの私はいつの間にか眠ってしまっていた。
今日は時計を持っていない。携帯電話の類も家に忘れてきていた。敷地内に設置してある時計に目を凝らすと大した時間は経っていなかった。僅か20分程度の睡眠だ。

すると目の前に人が歩いてきて、突然こう言った。

「君、大丈夫か?」

 見上げると、随分身長の高い女性が立っていた。意思の強い声だ。男性口調なところがちょっとカッコいい。
白いラインの入った黒のドレスシャツにサイズの合った濃紺のパンツ、濃い臙脂色の丈の長いコートを羽織った姿は背が高い彼女によく似合っていた。そして何より目を惹くのが、白くて長い綺麗な髪だ。外人さんだろうか。日本語は随分綺麗に聞こえる。瞳の色は青。

…それにしてもよっぽどやつれているように見えるんだろうか。赤の他人にそんな事を言われるなんて思いもしなかった。少し遅れて、長身の美女に返事を返す。

「あ…はい。ちょっと疲れちゃって。心配には及びませんので」

すると女性はこう言う。「私はな、こういう事をやっているんだ」コートの内側から名刺を取り出すと、目の前に差し出してくる。「はぁ、どうも」受け取った名刺に目をやる。

”ライブラ-C” ”心理カウンセラー 聖部 詩子”落ち着いた雰囲気のデザインに診療所の名称だろうか、それと住所に連絡先までしっかり書いてある。だけど…

「カウンセラーさん…ですか」

とてつもなく怪しい。さっきの好印象はどこへやら。私は寝ぼけ眼を強引に覚醒させるつもりで立ち上がる。さっさと適当にあしらって離れなきゃマズイ気がする。詳しくは知らないがこんな営業の仕方があるとは思えない。

「訝ってるな、無理もないか…まぁ、気が向いたら来るといい。安くしておくよ」

すると女性はこちらの態度を見てか意外にあっさりと引いてくれたようだ。私の返す言葉を待たずに踵を返すと悠然と去っていく。

「変わった人だなぁ…」

私は現在、会社を休職中だ。精神を病んで近くの病院にお世話になっている。とはいえ先生は全然で、初診でアンケートを沢山書かされていざ診察となったら言う事も的外れ。まぁ自分でも納得できないなんてよくある話なのかもしれないけれど、よく分からない薬を沢山出されてすっかり嫌になりものの数回で行くのをやめてしまった。
薬の副作用でかなり苦しい思いもしたがもうあの病院には行く気がしない。

聖部詩子…セカンドオピニオンに決めるにはちょっと普通じゃない出会いだ。だけど、あの美女と話をするのはいい気分転換にはなるだろう。そっちの気はないが、あれは同性の私から見ても素直に綺麗だと思う。いや、浮世離れしているレベルだ。




気付けば私は、診療所のドアをノックしていた。
時刻は夕方。昼間に出会った、聖部詩子の診療所『ライブラ-C』を訪れていた。
私もつくづく呆れたものだ。正常な判断とは思えないが、なんとなくすがるような思いで身体が動いていた。

「こんばんは~…」



2.


 病室にて。
『大学時代の友人』を装って病室に入った詩子は思案する。
先日助けたこの女性、詩井怜が何故あれほどの力の発生源で生きていたのか。
彼女は失血量で気を失ったのではなく、切った事に対するショックで気を失ったようだった。あの時、浴槽の中に溶け込んだ血はまだ少なく斑模様を描いていた。どうやら何らかの『力』の発動の後、怜は手首を切っている。

「やっぱりこの子自身の『力』に間違いない…か」

調査に割ける時間はあまりなかったが、大体の事は把握できた。
まず、詩井怜は一人暮らし。両親は健在だが交流はほぼ途絶えている。現在は仕事で心を患い休職中。
恋人と一時期同棲していたが離別。相手の男性の情報までは追えなかったが、その内把握できるだろう。

詩子は怜の額に手を当てると、すっと目を閉じて意識を集中する。

『-アクセス』

『異能持ち』相手になんとも無防備に入ってしまったが、まぁ…なんとかなるだろう。なんせ私は。




ほどなくして私は怜を見つけることが出来た。
現実と遜色ない世界の中で、彼女は日常を過ごしていた。

まあ有り体に言えば、彼女は今、街の大型スーパーのベンチでうとうとしていた。

なんというか、ふんわりとしたファッションだ。私とは対照的だが、彼女の容姿にはよく似合う。

長めだが軽そうなゆったりとしたスカートが膝辺りまで伸びている。
上は薄いピンクのタートルネックにロングのカーディガンを羽織っている。
茶色混じりのショートヘアはくりんとして童顔をさらに強調していた。
素直に可愛らしい。どうにも患者として以上に、入れ込んでしまっているようだ。不覚。


意識不明の夢の中でまで彼女はどうやら疲れているようだった。

少し前に見つけてから様子を伺っていたが、足取りの遅さ、億劫そうに腕を伸ばして食品を手に取る様、よろけてぶつかってしまった人に謝っている。えらく低姿勢だ。

休職中による運動不足からくる体力の低下、精神的な疲労まで再現しているようだ。
夢の中でさえ開放されないとはな。

彼女の痛みを慮りながら、近づいていく。どうやら眠っているようだ。先程スーパーのカレンダーで確認したが季節はもうじき初冬。陽はまだ高く気温は若干高く感じるがあまり寝ていると身体に悪いだろう。おそらくこの夢は風邪を引いても再現される。
可哀想だが起こしてやろうと近づく速度を早める。

すると、どうやら目を覚ましたようだ。時計を持っていないのか設置されている時計に目をやっている。彼女の目の前に立ち、声をかける。

「君、大丈夫か?」





彼女の意識は現実世界を模倣して再生されていた。

急ごしらえの診療所を近場の空き店舗に適当に構えて、彼女を待つ事にした。
他人の意識の中ではあったが、意識するだけでその空き店舗は現実世界の私の診療所と遜色なく形作られた。彼女に渡した名刺が彼女にこの場所を意識させたおかげだろう。何の干渉も必要とせず、瞬時に出来上がったそれをみて安堵した。

随分と訝しんでいたがどうやら、興味を引く事に成功したようだ。早いうちに彼女はやってくるかもしれないな。

再現された私の診療所に入って、お気に入りの椅子に腰掛ける。

すると、診療所のドアをノックする音。

「早いな!」まあ、好都合だ。

弱々しい挨拶の声が聞こえる。

私はドアを開いて迎えてやる。

「ようこそ。そういえば、名前を聞いてなかったな」詩井怜がそこにいた。

思えば強引な割り込みだったが、彼女は何か腹を決めたらしく意外なほど落ち着いていた。

「詩井、怜です。よろしくお願いします」

「聖部、詩子だ」

笑いながら、怜は言った。

「じゃあ、詩子先生ですね」

やめて。
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07.16
Mon
2.終末病





-ねぇ、知ってる?終末病の噂。○○の××に行くとね、神様が現れて天国に渡らせてくれるらしいよ。なんで病名なのかって?なんでも、誰でも連れて行ってくれるわけじゃなくて、本当に落ち込んで落ち込んで絶望してる子じゃないとダメなんだって。いや、結局さ、それがそういう幻覚を視ちゃう人の事を終末病って呼ぶらしいよ。現世に絶望して、この世の終末を迎える、だとかなんとか。噂にしちゃ凝ってるっていうかよく分かんないよね。


世の中には恐怖が渦巻いている。隣人が殺人鬼かもしれない。横断歩道で信号を待っていたら気まぐれで突き飛ばされるかもしれない。白線の内側にいても関係なくミンチになる可能性は否定出来ない。ほんの僅かな悪意と偶然が容赦なく人を殺す。そんな噂が飛び交っているのもさもありなん、というべきか。この世は絶望に満ちている。
 

「おかしいな…今日『渡る』と思ったんだが」

聖部詩子は気を紛らわすように頭を掻きながらポケットの中の煙草を弄る。
通例から今日『渡り』が行われるはずだった。件の噂『終末病』の指定場所であるこの場所で前日の夜から張っていたのだが、何の異常も力の発動も感じられない。
確かに情報は正しかったらしく数人の男女が集まっていたが、いつまで経っても何も起こらないことで諦めたのか、三々五々の彼らはその内散っていった。
一人追って話を聞いてみても良かったがリスクが高いと踏んでやめた。
誰もいなくなった事を確認し、それからも少しの間待ってみたが、何も起こらない。
これはアテが外れたか、と詩子は独りごちると、診療所兼自宅へ車を走らせる。

「まぁ、『渡り』が終わるのであれば、私の仕事も一段落だがね」

とはいえ、嫌な予感は消えない。終末病の元凶である『神様』は毎週決まった時間に必ず同じ場所で人を消す。文字通り消してしまうのだ。その存在そのものを『神様』は消す。

噂の特定から前回の決行日にこの場所に辿り着いた時は一足遅く、おそらく『渡った』と思われる人間の持ち物が落ちていた。が、それは数時間の後に消失してしまった。その落ちていた財布の中の身分証で名前と住所を確認し、その人間の個人情報を調査した。ほどなくして判明したその人物はいわゆる一般人であった。その後日常的に関係があった人間を数人当たってみると、誰一人としてその彼の事を覚えていないのだ。知らないと言ったほうが正しいのかもしれない。どうやら『渡る』ということはこの世から消えるということらしい。噂を顧みれば、この世の終末を迎えるとのことだがこれではいまいちナンセンスと言わざるをえない。現世に絶望して噂にすがった彼らは、この世に未練を感じていたはずだ。彼らは望んで『渡って』いるのだろうか?

噂が絶望した人間達を集める為の餌であるなら多少噂の内容がどうであれ人は集まっているのだから目的は達成されているのだろう。だが先程の数人を除いて恐らくは帰ってきていない。帰ってこないのか、帰ってこれないのか。本人達の意図とは違う結末を『神様』は強いている?

『神様』と呼ばれる存在が個人なのか複数なのかは、今のところ判明していない。噂は決まって『神様』の呼称が使われている事、それとなんとなくだが、自分の感がそう言っている。異能者は一人、神を気取って人を境界の向こうへ渡らせている。そして恐らく、連れて行かれた彼らは帰ってこれないのだ。




「-----っ!」

市内を走る車の中、詩子は強烈な力の発動を感じる。

「…こりゃとんでもないモノを引いてしまったかね?」

発動地点へと車を走らせる。この辺りは一戸建てやアパートなどが林立している。早朝のこんな市街地で一体何が起こっている?

ほどなくしてアパートの一室に辿り着く。
部屋の中からは力は感じられない。先程のは残滓程度のものだったのだと悟る。未だに周囲からはあの時感じた怖気の残滓が残っている。室内の人間は生きているのだろうか。

慎重に部屋のドアの前に立ち、試しにドアノブを回す。開いている。

弱々しい命の感触を感じて、不安は希望へと変わる。

(まぁそれとは別に、嫌な予感はするな…)

などと考えつつ身体の方は躊躇なく踏み込んだ。部屋の中は静まり返っているが、電気は付いている。直感に頼って風呂場を覗くと、手首を切って力なく浴槽に寄り掛かる女性がいた。
息はまだあるが、これは少しマズイ。傷口を若干『治療』し、湯船から引き上げ出血を抑える。

「恐らく力の発生源はこの子だろうが、ひとまず病院に行ってもらうしかないな…えっと」

119番で住所を伝え、氏名は、と電話を掛けながら適当にその辺りを探すと免許証が出てくる。

「詩井 怜…ね」






その後詩井怜は病院に運び込まれたが、すぐに意識を取り戻すことはなかった。
出血が酷かったが、治療は問題なく執り行われ、身体に異常を残すことはなかった。
心を除いては。


翌日。


「…詩井怜さんの病室はどちらでしょうか?」

知り合いを装った詩子は怜の病室へと赴いた。

依然として意識不明のまま、怜はベッドに横たわっていた。

頭を撫でながら、詩子は呟く。

「渡りもどうやら一時休戦のようだし、しばらく君の方を診ようじゃないか。怜」










2話目。
タイトル決定「ライブラ-C」

全何話になるか分かりませんが恐らく7話位?文章量超少ないのに7話程度で終わります。

ご都合主義の塊です。楽しけりゃいいのさ。自信過剰気味で感に頼りすぎの詩子可愛いお詩子。
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07.16
Mon
1.繰り返される望み



 「それはな、怜。君の望みかもしれないぞ」

 私が今朝の出来事を話すと、先生、聖部詩子(ひじりべ うたこ)は真剣な顔をして意外な事を言ってきた。

 「望みって、ドアを開ける事がですか」どんな人間なんだ私は。軽く睨みつけてやる。

 「鈍いな怜、つまりだ。君は一人を恐れているんだ。君が人恋しいとは中々めでたい話じゃないか」

そんなことはない。私は一人の方が好きだし他人のペースに合わせるのは非常に億劫で仕方がない。

 「そんなわけないですよ。私は一人の方が気楽でいいし」

視線を逸らしながら室内を見渡す。テーマは無国籍、とでも言うようにどこの国の民芸品かよく分からない置物らしきものが所狭しと置いてある。かと思えば熊が鮭を加えた例のアレだの狸の置物だのと節操が無い。
壁には奇怪な形の壁掛け時計が沢山掛けてあって見た目に騒がしい。電池は抜かれているようで様々な時刻を示しながら沈黙していて実際には無音だ。視線を戻すと、分厚いハードカバー(何語かすらわからない)が無造作に積まれているデスクに出来た本の断崖の隙間から、詩子先生はこちらをニヤニヤと見つめている。

 「何笑ってるんですか、もう」膨れて見せるほどの活力はないが、不機嫌そうに言ってやる。

 「いやね、詩井怜(うたい れい)23歳の来るべき春を祝福しているんだよ、もう第2子が生まれたぞ」

妄想が暴走し過ぎだ。相手もいないのに何を気の早いことを。いや…

 「先生の暴走癖はともかく、とりあえず薬ください。まだダメっぽいので」

 それは君が決めることじゃないんだがな、と言いつつもカルテに何かを書き込んでいく。いつも思うがアレはなんて書いてあってどう読むのだろう。

 「詩子先生、カルテって何語で書いてるんですか?やっぱりドイツ語とか?」

 「詩子はやめろ。ちなみにコレは英語と日本語だぞ。見せないが」

開示法とか知らんのか、この先生は。

 「ドイツ語で書くのは年配の先生方とか、大学病院なんかのエリート医師達に多いようだが、よく知らん。大体面倒なんだよアレ。読めん奴いるから」

詩子さんぶっちゃけ過ぎです。そうそう、薬の話の前にこれも話しておこう。

 「そんなもんですか。ところで先生」

 「ん?」カルテを置いて何やら雑誌を読み耽っていた先生が顔を上げたので、ちょっと目を逸らす。

 「気になる人が、いるんですよねぇ…実は」



 「…そりゃ、おめでたいね。いいねえ若いって。私ももう5つ若ければなぁ」

 祝福されてしまった。恥ずかしくて顔を俯けたまま、詩子先生の容姿を思い浮かべる。この人は自称年齢不詳の癖に自分を行き遅れみたいに語る。贔屓目に見ても美人だし三十路前でも通じるだろう。無造作に束ねた髪やどうにも不精っぽい所を改善すれば貰い手はどこにでも居そうなものだ。

 「それじゃ、薬出しておくから、今日はもう帰んなさいわ」

 挨拶をして席を立つ。随分長居をしてしまったがココはこんなんで成り立っているのだろうか。






 詩子は出ていった怜を見送った後姿勢を崩すと、診察室の出入口を見つめながら煙草に火を点ける。

 「気になる彼が『渡る』まで、あと3日。怜。思い出せるのか、君に」

 『終末』までに思い出してもらわなくては、仕事が増える。怜、自力というものは君自身の望みを追い求めなければ湧き上がらないんだよ。







タイトルがまだ決まらない…話の大筋は決まったので多分続けられます。

7/16:タイトル決定。未タイトル→ライブラCへ
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07.08
Sun
序章2.零れ落ちた何か




 本当によく眠れた、という朝には中々お目にかかる機会がなかったが、今朝の私は幸運だ。
まるでフィクションのように気分爽快な朝を迎えて、ベッドの上をゴロゴロする。
今日は何をどうしようか、仕事はまだ少しの間休みをもらっているし体調もいい、もう少し寝てしまってもいいか。
瞬間、何かが脳裏の片隅をかすめる。
そして次の瞬間に青ざめた。
私はなにかとんでもない、取り返しの付かないミスを犯したような気持ちに駆られるとすぐさまベッドから飛び起き、家の中のドアを手当たり次第に開けていく。
リビングに続くドア、トイレのドア、もう一つの洋室のドアを開けて、見えない何かを探すように、家の中を見渡していく。脱ぎ捨てられた服や雑誌で散らかったリビング、ちょっとした物置になっている洋室、少し狭いキッチン。




 異常はどこにも見当たらない。そもそもこの行動自体が意味不明だ。こんな症状は初めてだ。今度主治医の先生に相談してみようか、

 また薬を強くされては敵わないな。
でもなんだろう、この喪失感みたいな切なさは。







余裕があれば明日その1を書きます。
そろそろタイトル決めたいな。

7/16:タイトル決定の為修正
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07.07
Sat
序章1.忘却の彼方




 自室のベッドに寝転がり雑誌を流し読みしていた私は、唐突に口を開いた彼の方を見ることもなく曖昧な返事をした。
きっと「んー」だの「うー」だったかと思う。よく覚えていない。もう少し言えば読んでいた雑誌の事もよく覚えていない。私は眠たかった。

「仕事辞めました」

「へー」



 数秒後突然部屋のドアが閉まる音が聞こえたので、彼は出ていったのだろう。私はどうしよう、酷く億劫だがシャワーを浴びて寝てしまうことにしよう。

 浴室を出た私はショーツ一枚にバスタオルのままベッドに飛び込んだ。本当は裸一貫で布団に引きこもりたいところだが、初めて彼に見られた時、いつもは温厚といって差し支えない彼が意外にも怒ったので(怒ったといっても怒鳴り散らすというわけではなく、口数が減ったり目立たない愛想が更に控えめになったりといった程度のことだ)せめて下くらいは隠す事にしたのだ。梅雨に入ってもう数週間が経つが、この辺りは梅雨の時期も朝晩は割と冷える。Tシャツの一枚でも着たほうがいいのかもしれないがもう身体が思うように動かない。渾身の一撃で濡れたバスタオルを椅子にぶん投げる。そろそろ本格的に寝入ってしまうのだろうと他人事のように考えながらズルズルとシーツに身体を埋めていく。

 そういえば、なんだったか。

彼はさっき何かを伝えにここに来ていた。部屋の閉まる音だけがおぼろげに記憶に残っている。
閉まる音は静かだったはずだ、多分。そう剣呑な話題ではなかったのだろう。

 彼との生活が始まって、もう一年近くになる。
さっきの「パンツ一枚事件」みたいに、彼はそういう一般的な倫理観を割と尊重するタイプで、控え目で大人しくていかにも気が弱そうな見た目の癖に芯は意外としっかりしている。それとちょっと馬鹿だ。
 会社の同期だった私はその彼のそんなには悪くない見た目に惹かれて何度か食事をした。人間、ご飯を何回か食べればどんな人間か分かるもんで、彼も度々その魅力の片鱗を見せてくれた。

そんなこんなでこうして私は、一人で契約している賃貸アパートに彼をこっそり住まわせているのだった。
もちろん割り勘だ。

 そう、その彼がさっき、私の部屋で何か言ったのだ。なんだっけか。

 仕事、辞める…?

現実感のないその言葉を反芻しているうちに、いよいよ睡魔が本気を出したようで私はあっさり眠りについた。




「未タイトル」

フィクションです。実際の人物関連団体うんたん。

チラ裏的小説もどき始めました。


7/14:タイトル、カテゴリを修正。

7/16:タイトル決定の為修正
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